2023年03月29日
長崎大学医歯薬学総合研究科皮膚病態学の室田浩之教授と村山直也医師、長崎大学先端創薬イノベーションセンターの田中義正教授らによる研究グループは、東京大学、東北大学大学院薬学研究科井上飛鳥教授らと共同研究を実施し、エクリン汗腺が嗅覚受容体を発現し、ある種の香料の皮膚への塗布によって発汗を調節できることを発見しました。発汗異常を来す代表的な疾患として多汗症、無汗症があります。汗の量は多すぎても少なすぎてもヒトの健康を損ない、日常・社会生活にも大きな支障を来します。しかしながら発汗を制御する方法は限られています。本研究では無汗症における汗のでている皮膚と汗のでていない皮膚のエクリン汗腺に発現するmRNAの種類を比較し、発汗制御に関わる分子を解析しました。その結果、エクリン汗腺における嗅覚受容体OR51A7とOR51E2の発現に注目しました。特にOR51A7はβイオノンに反応し、βイオノンを塗布した皮膚の軸索反射性発汗試験で女性の発汗を減少させ、男性の発汗を増加させました。
この研究は発汗を制御する新規創薬に貢献すると期待されます。本研究成果は米国皮膚専門誌JID Innovationsに掲載されました。
■ポイント
▶︎ヒト体表の広範囲に汗を出すエクリン汗腺が分布しています。発汗は体温調節のほか皮膚の恒常性を維持するために必要な生理機能です。そのため、汗は多すぎても(多汗症)少なすぎても(無汗症)ヒトの健康を損ないます。
▶︎ところが発汗を制御する治療の選択肢は非常に限られています。
▶︎無汗症には体の広範囲を占める無汗部と一部の正常な発汗部があります。本研究では無汗症の汗がでている皮膚、汗がでていない皮膚からエクリン汗腺のみを回収し、そこに発現しているmRNA1)の種類を網羅的に解析し比較することで発汗制御に関わる分子を調査しました。そしてエクリン汗腺に嗅覚受容体2)OR51A7とOR51E2が発現していることを見出しました。
▶︎中でもOR51A7がβイオノン3)という香料に反応することが分かりました。βイオノンを塗布した皮膚で軸索反射性発汗を評価すると、女性の発汗は減少し、男性の発汗は増加しました。この研究は発汗を制御する新規創薬に貢献すると期待されます。
■研究の背景
・発汗低下の問題と診療における課題
発汗量の減少は体の熱の調節を困難にし、熱中症の原因となります。また加齢による皮膚老化やアトピー性皮膚炎に伴う発汗量の減少は、皮膚乾燥や病原体の感染を生じやすい状態を形成します。そのほか、明らかな原因なく体表面積の25%以上で発汗が停止することで、暑熱環境において倦怠感や熱中症を生じたり一過性の皮膚の疼痛やコリン性蕁麻疹4)を生じる疾患を特発性後天性全身性無汗症(AIGA)5)と呼び、指定難病となっています。令和2年度までの指定難病登録数は全国で443名と稀な疾患ではありますが、患者数は年々増加傾向にあります。この難病の原因は未だ不明で、それゆえに確立された治療がありません。症状によって生活への支障が大きい重症例に対してステロイドの全身投与を行うことがあり、約半数は一時的に回復しますが、再発例や無効例も多いのが実情です。発汗量を増やす方に調節できる処置の開発が熱望されています。
・発汗過多の問題と診療における課題
明らかな原因なく発汗過多を来す疾患として原発性多汗症があります。緊張時、暑熱環境中等で過剰な発汗を起こし、その汗が直接あるいは汗染みとして目に見えることや、物に触れるときに躊躇するなど、日常・社会生活に負の影響を及ぼします。”厚生労働省疾患等政策研究事業 発汗異常を伴う稀少難治療性疾患の治療指針作成、疫学調査の研究班”の報告によると多汗症のために労働能率が約30%損なわれます。治療方法は薬剤で汗の出口を塞いだり、神経の活動を抗コリン薬6)やボツリヌス毒素7)で抑えるなどの治療を検討します。一方でこれら治療による副作用が懸念され、満足できる効果を得られない場合があります。発汗異常治療のアンメットニーズを反映するかのごとく、多汗症患者が汗対策の衛生用品にかける費用は年間約245億円と試算されています。多汗症の対策として副作用の懸念が少なく、発汗量を減らすことのできる方法の開発が熱望されています。
■研究の成果
本研究では、希少疾患であるAIGA患者由来の既に保存されている組織サンプルを使用しました。特発性後天性全身性無汗症(AIGA)5)のパラフィン包埋皮膚標本から、発汗部および無汗部皮膚のエクリン汗腺を摘出し、RNAシークエンス解析8)により遺伝子発現のプロファイリングを行いました。発汗部と無汗部の遺伝子発現を比較し、有意差(< 0.01)および2倍以上の遺伝子発現差を持つ転写物をフィルタリングして102の遺伝子を同定しました。その中で嗅覚受容体OR51A7、OR6C74、OR4A15は、発汗部のエクリン汗腺で高発現しており、一方の無汗症の汗腺ではその発現レベルが低下していました。(図1)
図1:トランスクリプトーム解析による無汗症の病態研究戦略。皮膚から汗腺をレーザー解剖法で回収し、そこから微量なRNAを解析し、RNAシークエンス解析を行った。 |
これら嗅覚受容体の発現および局在を確認するため、無汗症の皮膚病理標本で in situ ハイブリダイゼーション(ISH)9) を実施したところ、OR51A7 mRNAの発現 が汗腺分泌細胞の細胞質と汗腺を取り囲む筋上皮細胞で検出されました。他のOR6C74、OR4A15はISHで確認ができず、以後確認の取れたOR51A7に注目して研究を進めました。OR51A7を活性化する香料は未解明であったため、同じOR51受容体ファミリーであるOR51E2を活性化する香料βイオノンをOR51A7の香料の候補として検証を行いました。免疫組織学的検討からOR51E2もエクリン汗腺に発現していました。OR51A7あるいはOR51E2、そして嗅覚受容体の活性化に必要なG蛋白を強制的に発現させた培養細胞(HEK293)を用いて、アルカリフォスファターゼーTGFαシェディングアッセイ10)で確認しました。このアッセイ系では、嗅覚受容体が香料に反応すると発色し、その発色の強さが反応の強さを表します。その結果、OR51A7はβイオノンにOR51E2よりも高い感受性で反応することが分かりました。(図2)OR51A7を活性化するためのβ-イオンの最小濃度は100μMでした。免疫組織学的検討からOR51E2もエクリン汗腺に発現していたのでOR51E2も多少成人も発汗に影響することが示唆されました。次にβイオノンの局所投与は、OR51A7またはOR51E2を介してヒトの発汗に影響するかを定量的腹部運動軸索反射試験 (QSART)11)によりヒトで検討しました。βイオノンを局所塗布は女性の発汗を減少させた一方、男性は発汗量が増加しました。(図3)この男女差は発汗だけではなく、女性協力者は全員βイオノンの匂いを感知できたが、男性協力者はほとんど匂いを感じられませんでした(ちなみにβイオノンはキンモクセイやスミレの匂いに例えられます)。性別の違いがなぜ生じるのかを現時点で説明することはできませんが、βイオノンを皮膚に塗布した皮膚ではなんらかの発汗誘発刺激に伴う発汗量が変化し、女性は発汗減少傾向、男性は発汗増加傾向を示すことが確認されました。
図2:βイオノンの作用点とOR51A7の分布。皮膚に投与したβイオノンは汗腺の筋上皮細胞と分泌細胞に局在するOR51A7に作用し、発汗を制御する。 |
図3:皮膚へのβイオノンの塗布が軸索反射性発汗試験の結果に与える影響。男性は発汗量増加の傾向、女性は発汗量減少の傾向を示した。 |
■今後の展開 将来展望
(1)βイオノンをベースとした新規合成化合物のデザインをもとに発汗異常治療薬の新規創薬
(2)βイオノンを応用した汗対策用の衛生用品の開発
(3)発汗誘発によるアンチエイジング効果の期待(男性)
(4)熱中症の予防
(5)地球温暖化に際し、発汗を制御することでヒトの暑熱順応を促し温暖化に適用させるプラネタリーヘルスへの貢献
■論文情報
Naoya Murayama, Takafumi Miyaki, Daisuke Okuzaki, Yasuaki Shibata, Takehiko Koji, Asuka Inoue, Junken Aoki, Hideki Hayashi, Yoshimasa Tanaka, Hiroyuki Murota,
Transcriptome profiling of anhidrotic eccrine sweat glands reveals that olfactory receptors on eccrine sweat glands regulate perspiration in a ligand-dependent manner,
JID Innovations, 2023, 100196,
ISSN 2667-0267,
https://doi.org/10.1016/j.xjidi.2023.100196
■用語解説
1)mRNA: メッセンジャーリボ核酸の略語。遺伝子の情報から蛋白質を翻訳する際の鋳型となる。
2)嗅覚受容体:細胞膜に存在する匂いに反応する7回膜貫通型G蛋白共役受容体。ヒトには約400種類の嗅覚受容体が確認されている。嗅神経のほか、様々な臓器に発現が確認されている。
3)βイオノン:香料。その匂いはスミレや金木犀に例えられる。
4)コリン性蕁麻疹:入浴や運動時に現れる蕁麻疹で疼痛や痒みを伴う事がある。
5)特発性後天性全身性無汗症(AIGA):自律神経異常および神経学的異常を含む明らかな原因がなく、後天的に汗をかくことができなくなる疾患。 体温調節に重要な汗をかくことが少なくなるので、運動や暑いところで簡単に体温が上昇して熱中症を生じる。(指定難病163)https://www.nanbyou.or.jp/entry/4390
6)抗コリン薬:自律神経の活動に関わる物質、アセチルコリンを抑制する薬剤。
7)ボツリヌス毒素:ボツリヌス菌が産生し神経に作用しその機能を抑制する物質。
8)RNAシークエンス解析:次世代シーケンサーを用いてRNAの入れる情報を網羅的に読み取り、 遺伝子の発現量を解析する研究手法。
9) in situ ハイブリダイゼーション(ISH): 組織において特定のmRNAの分布や発現量を解析する研究手法。
10)アルカリフォスファターゼーTGFαシェディングアッセイ:嗅覚受容体を含む膜貫通型G蛋白共役受容体がどのような物質と反応を示すかを評価する解析手法。評価したい受容体とその活性に必要なG蛋白、そしてアルカリフォスファターゼ(AP)と呼ばれる目印が結合したTGFαと呼ばれる細胞膜蛋白質(AP-TGFα)をHEK293と呼ばれる細胞に人為的に発現させる。OR51A7を発現させた同システムにβイオノンが反応する場合、OR51A7を介したG蛋白の活性に伴い細胞膜上の蛋白切断酵素TACEが AP-TGFαを切断し、AP-TGFαは培養液中に遊離する。培養液中のAP-TGFα濃度が高いほど、高い活性を有すると判断できる。
11)定量的腹部運動軸索反射試験 (QSART):発汗刺激物質であるアセチルコリンを電気的に皮膚に導入することで末梢神経を刺激し、その神経興奮が汗腺に作用すると発汗が生じる。その発汗量(mg/cm2/sec)を軽時的に測定することで発汗を定量的に測定する解析手法である。