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「逃げる方向に複数の好みの方向がある」 多くの動物に共通する現象を、新たな数理モデルによって理論的に説明

 水産・環境科学総合研究科准教授の河端雄毅らは、10年以上に亘る研究の末に、「餌生物が捕食者から逃げる方向には複数の好みの方向がある」という普遍性の高い現象(図1)を、新たな数理モデル(幾何学モデル)(図2)により、世界で初めて理論的に説明することに成功しました。

【ポイント】
・多くの動物に共通して見られる「逃げる方向に複数の好みの方向がある」という現象を説明。
・餌生物は、捕食者を回避するのに1番良い方向だけでなく2番目に良い方向も使うことで、予測不可能性を高めて、捕食者に学習されないようにしていることが示唆された。
・どのような神経回路で逃避の方向が決定されるかという点で神経生理学分野にも重要な知見となる。
・車と野生動物の衝突事故の問題、漁具漁法学、スポーツ科学などへの応用が期待される。

図1. 多くの動物に見られる「逃げる方向に複数の好みがある」という現象の模式図

図2.従来の数理モデル(上)と新たな数理モデル(下)の模式図。両方のモデルでは、「餌生物が危険領域から抜け出す時間」と「捕食者がその抜け出す地点に到達する時間」の差が最大になるように逃げる方向が決定されると予測する。従来のモデルでは、餌生物が回転する時間が組み込まれておらず、瞬時に方向を変えて逃避できるとされていた。また、捕食者は直線的に移動し続けるとされていた。新たなモデルには、2つの要素「方向転換にかかる時間(回転時間)」と「捕食者の攻撃が終わる地点」が組み込まれている。

【研究の意義】
 この研究成果は、主に4つの点で意義があります。
 1つ目は、多くの動物に共通する普遍性の高い現象を数理モデルと実データを使って説明した点です。これまで、魚類、両生類、昆虫、爬虫類、ほ乳類など幅広い分類群で「逃げる方向に複数の好みの方向がある」という現象が確認されています。しかし、その理論的な説明はなされていませんでした。本研究により、捕食者の攻撃をかわすのに適した方向(捕食者に対して120-140度)と、捕食者の攻撃を振り切るのに適した方向(170-180度)があり、中間的な方向だと捕まり易いことが分かりました。また、数理モデルのパラメータを変化させることで、その他の逃避方向パターン(例:好みの方向が1つ、捕食者に向かう方向に逃避)も説明可能なことが分かりました。よって本研究は、あらゆる動物において、逃げる方向を理解する上での基盤となる成果だと言えます。
 2つ目は、1番良い方向だけでなく2番目に良い方向も、その1番と2番の差に応じて使用頻度を変えながら使うことを明らかにした点です。例えば横から捕食者が接近してきた時は、方向転換にかかる時間を考慮すると、かわす方向(120-140度)が1番良い選択で、振り切る方向(170-180度)が2番目に良い選択になります。興味深いことに、実際の動物(魚)は常に1番の選択をし続けるのではなく、1番と2番の逃げ切り易さの差が同程度であれば両方を約1:1の確率で使用し、逃げ切り易さの差が大きければ1番を使う割合を8割程度にまで上昇させて両方を使用していました。これは、常に同じ方向に逃げ続けると捕食者にその経路を予測されてしまうため、適度に2番目に良い方向を混ぜることで捕食者に学習されないようにしているためだと考えられます。
 3つ目は、神経生理学分野にとっても重要な知見であることです。魚は刺激が加わってから逃避を開始するまでの反応時間が0.001~0.01秒単位の超高速の反射運動(C-start)で逃避を行います。そのため、どのように感覚器からの情報が統合され、筋肉の活動が促され、逃避方向が決定されるかが多くの研究者によって調べられてきました。しかし、これまでの神経回路モデルでは、常に餌生物は刺激(捕食者)の反対側つまり180度方向に逃げることを前提としていました。そのため、「動物は180度方向だけでなく、120-140度方向にも逃避する」ということを理論的に説明した本成果は、その前提条件を変えるものです。本研究が皮切りとなって、その神経機構を説明する研究が活発になることが期待されます。
 4つ目は、車と野生動物の衝突事故の問題、漁具漁法学、スポーツ科学などへの応用が期待できることです。シカや鳥などの野生動物と車の衝突事故はロードキルと呼ばれ、世界中で大きな問題となっています。そのため、本研究で開発した数理モデルに、車を捕食者、野生動物を餌生物として当てはめることにより、どのような状況で衝突が生じるか、そしてどうすれば衝突を回避できるかの理解が深まることが期待できます。また、漁具を捕食者、採られる魚を餌生物として当てはめれば、どのようにすれば魚を効率的に漁獲することができるかの理解が深まりますし、スポーツでは例えばボクシングのパンチを捕食者、かわす側を餌生物として当てはめれば、効率的なパンチの仕方・かわし方を科学的に分析できるかもしれません。このように逃避と攻撃という行動は、様々な現象の基礎となる要素なので、幅広い分野への応用が考えられます。

【研究の背景・経緯】
 捕食者などの危険に遭遇すると、多くの動物は逃げることで、その危険を回避します。逃げきれるかどうかは、速度などの運動性能の他に、どのタイミングで逃げはじめるか、どの方向に逃げるかといった行動要素で決まります。
 筆頭著者の河端は、2010~2011年に、広く放流魚の目印(標識)として使われている腹ビレの抜去が魚の逃避行動に何か悪い影響を与えているのではないかと疑問に思い、腹ビレを除去した群と除去していない群で逃避行動を比較する実験を行っていました (Kawabata et al. 2016)。その時に、逃避の方向を図示すると、どちらの群でも、刺激の真後ろ(170~180度)と刺激から斜め後ろ(120~140度)に頻繁に逃げていることに気づきました。この現象に興味を持って、様々な文献を調べてみると、魚類だけでなく多くの動物群で、同様に2つの好みの逃避方向があることが分かりました。同時に、既存の理論(数理モデル)ではこの現象を理論的に説明することができていないことも知りました。
 河端は、他の研究を進める傍ら、この現象をなんとか理論的に説明できないかと考え続け、ある時、既存のモデルでは餌生物が方向転換するのにかかる時間(回転時間)が含まれていないことが問題ではないかと気付きました。そこで、解析を約1か月余り続けた結果、回転時間を組み込んだ新たなモデルで2つの好みの方向を上手く説明できるということが分かりました(ただし、後述のように、このモデルでは完全には説明しきれていない点がありました)。
 その後、2014年に日本動物行動学会で研究内容を発表し、優秀ポスター発表賞を受賞しました。そして、統計数理研究所の島谷と共同で、数理モデルと実際の動物の逃避行動データを統合的に解析し、2016年にとある著名な学術雑誌に投稿しました。しかし、残念ながら結果はリジェクト(却下)でした。理由は「興味深いがモデルの前提が怪しい」ということでした。ここで、別の雑誌に投稿するという選択もありましたが、河端はモデル自体に問題があるのではないかと思い、改めて一から考え直すことにしました。特に、この時の数理モデルでは、頭側から捕食者が接近する場合は120-140度方向に逃げて、尾側から捕食者が接近する場合は170-180度に逃げるのが最適だと予測していました。しかし実際の魚は、尾側から捕食者が接近する場合は170-180度と120-140度の両方を使っており、そのことが数理モデルではうまく説明できていませんでした。
 論文を書きながらも、新たな数理モデルを検証するには、2010~2011年に得た逃避行動のデータではサンプル数が不十分に感じていました。また、実際に餌生物が捕食者から逃げる際のデータも必要に感じていました。そこで、2015年に木村の卒業論文として、実際の捕食魚(カサゴ)から餌生物(マダイ稚魚)が逃避する行動を観察する実験を行いました (Kimura and Kawabata 2018)。また、2016年に赤田の卒業論文として、捕食者の模型から餌生物(マダイ)が逃避する行動を、モデルの検証に十分な数測定しました(23個体から合計264データ)。これらのデータの取得と解釈には当時研究員として所属していた西海にも協力してもらいました。
 さらに、2017年から魚の逃避行動で著名なDomenici(イタリア国立生物物理学研究所)が本研究チームに加わりました。Domeniciは世界で最初に魚類の逃避方向に2つの好みの方向があることを発見した研究者で、河端の数理モデルに興味を持っていました。2018年夏にはDomeniciは河端との議論のために長崎に2週間滞在しました。河端はDomeniciとの議論と実際の捕食者と餌生物の攻防の観察から、捕食者が直線的に移動し続けるという前提に問題があることに気づきました。そして、モデルを改善したところ、実際の魚のデータとモデルによる予測がきれいに一致しました。すなわち、2つの要素(餌生物の回転時間、捕食者の攻撃が終わる地点)が動物の逃避方向を説明するのに重要な要素であることが分かりました。
 この結果をさらに強固なものにすべく様々な統計解析を実施しました。一部の解析は複雑な統計解析を得意とするNishiharaに手伝ってもらいました。そして2020年4月に論文を投稿しましたが、いくつかの学術雑誌にリジェクト(却下)されるなど、投稿後も一筋縄ではいきませんでした。今回掲載されたeLife(生物科学の総合学術雑誌)の査読者と編集者からもたくさんの有益なコメントをもらい、修正を繰り返しましたが、この度2023年2月に無事アクセプト(受理)されました。

【引用文献】
Kawabata, Y., H. Yamada, T. Sato, M. Kobayashi, K. Okuzawa, and K. Asami. 2016. Pelvic fin removal modifies escape trajectory in a teleost fish. Fisheries Science 82:85-93.
Kimura, H., and Y. Kawabata. 2018. Effect of initial body orientation on escape probability of prey fish escaping from predators. Biology Open 7:bio023812.

【謝 辞】
 本研究は日本学術振興会科学研究費補助金(若手B:17K17949、新学術領域研究:19H04936)、住友財団環境研究助成(153128)、統計数理研究所公募型共同利用(2014-ISM.CRP-2006)の助成を受けて実施しました。

【論文情報】
雑誌名:eLife(Impact Factor = 8.713)
論文名:Multiple preferred escape trajectories are explained by a geometric model incorporating prey's turn and predator attack endpoint
著者名:
河端 雄毅(水産・環境科学総合研究科)、
赤田 英之(実験当時:水産学部)、
島谷 健一郎(統計数理研究所)、
Gregory N. Nishihara(海洋未来イノベーション機構)、
木村 響(実験当時:水産・環境科学総合研究科)、
西海 望(実験当時:水産・環境科学総合研究科、現:基礎生物学研究所)、
Paolo Domenici(イタリア国立生物物理学研究所)
掲載日:2023年2月15日
URL:https://elifesciences.org/articles/77699