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東日本大震災・支援活動

福島未来創造支援研究センター

(25)憧れの喜望峰

2018年12月31日

   今から530年前、1488年ポルトガル人の航海士バーソルミュー・ディアスが、バスコダ・ガマに先んじて南アフリカ最西南端の岬を発見しています。大航海時代の幕開けにより、長崎とゆかりあるポルトガルやスペインの宣教師らもこの東インド航路の開拓を通じて、危険と隣り合わせの冒険力と技術力を駆使し、勇気と信念(信仰心)で乗り越えて、まさに新時代を築き上げてきました。
   この12月はじめケープタウン市で開催された国際学会に参加しましたが、アフリカとは思えない美しい街並みに感動しました。アパルトヘイトの残影はあるもののマンデラ元大統領の偉業が至る所で讃えられています。
   Cape of Good Hopeとは、歴史的にも、そして地政学的にも世界の最重要スポットでした。「希望の岬」、それがどうして現在の「喜び望む峰」と呼ばれるようになったか諸説あるようですが、この岬全体がケープタウン市のTable Mountainから長く続く峰の最南端と見なせば、確かに大西洋とFalse Bayが交わる最西南端に位置することから喜望峰という日本語訳にも納得させられます。当時のポルトガル王が、当初の「嵐の岬」の名前を、冒険者や挑戦者など危険と隣り合わせの中で一攫千金を狙う「希望の岬」と改名したと言われています。確かにこのCape Pointに立つと、自然の驚異と果敢に戦った人間に感動を覚えます。
   歴史を紐解くと、15世紀から17世紀初頭にかけて、キリスト教文化の革新とルネッサンスという自然科学と人間中心への転換時期にあたり、ルターの宗教改革の影響で世界の果て、そして極東の日本へもキリスト教が伝搬されました。長崎の歴史もまた波乱万丈ですが、天正の遣欧少年使節団も命をかけて喜望峰を往復し、その流れで徳川時代の禁教を乗り越えた潜伏キリシタンの精神遺産が今年、世界文化遺産に登録されています。
   2018年も大晦日の日を迎え、本年が平成最後の暦となります。この一年のセンターの活動へのご支援とご協力に感謝し、新年も福島の復興と再生が着実な歩みを進めることを心から祈念します。