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東日本大震災・支援活動
2018年12月15日
長崎大学広報戦略本部が定期発行している「CHOHO」は、平成14年10月にその産声をあげてから早16年になります。幅広く市民や高校生を対象とする大学の優れた情報誌ですが、この秋の最新号65号では、「地域の最前線に立つ長崎大学の卒業生たち」が取り上げられ、毎回異なるテーマで特集が組まれています(http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/index.html)。
一方、平成28年春、福島県立医科大学(福島医大)では、第1号の広報誌「いごころ」が創刊され、これまでの3年間で11号が発刊されています(https://www.fmu.ac.jp/univ/daigaku/kouhou.html)。最新の2つの号は、高校生向けで、より分かり易く福島医大の活動が取り上げられていますが、ここでは福島医大の歴史的な創刊号について紹介します。
実は、福島原発事故以前は、福島医大の積極的な広報活動は乏しく、事故後の県民健康調査事業の開始1年後の平成24年4月に、初めて県民への広報関連部門が設立されています。当時は、あらゆる場面で逆風が吹き、トラブルやクレームが多い中での「県民健康見守り事業」の発足と運営体制の構築でした。創刊号の第1号では、その当時を回顧し、3名の教授が反省と自戒、そして福島に新しく与えられた使命と責務を表明しています。その3名こそが、広島大学から救命救急医療の専門家として、避難住民や原発労働者対応に奔走された谷川攻一副理事長、長崎大学から直ぐに福島医大に入り被ばく医療棟で粉骨砕身の努力をし、そのまま放射線健康管理学講座の初代主任教授となって現場で活躍している大津留晶先生、そして福島医大出身で初期対応での緊急被ばく医療に奔走し、その後放射線災害医療学講座の初代主任教授となられた長谷川有史先生です。この3名を中心として、その後の広島大学、長崎大学、そして福島医大の共同した教育研究、そして地域医療支援事業が展開されています。まさに3大学のスクラムが組まれ、復興と再生のエネルギーの源となっています。
福島医大では、震災以降多くの大学関係者が「まごころ」を発揮し、公立医科大学ならではの強みと特徴を生かし、県民への理解を深める努力を真摯に続けていますが、その一助としてこの「いごころ」がこれからも成果を上げることが期待されます。