2024年06月27日
6月17日(月)、長崎原爆資料館ホールでルワンダ虐殺※30年追悼の祈念式典「Kwibuka 30 in Nagasaki」が開催され、約200名が来場しました。この式典はNPO法人「ルワンダの教育を考える会」が主催し、駐日ルワンダ共和国大使のムカシネ・マリー・クレール氏も出席しました。長崎大学はこの式典を後援し、多数の教員や学生が参加したほか、当日の受付などの運営にも協力しました。
参加者の受付を行う大学生たち |
式典名にある「Kwibuka(クイブカ)」とは、ルワンダ語で「記憶」を意味し、同じ過ちを二度と繰り返さないという想いが込められています。1994年4月、ルワンダ共和国で内戦が激化し、約3カ月間で何十万人もの人々が命を落としました。今年はそれから30年の節目を迎え、世界各地で追悼行事が行われています。
今回の式典は、戦争による悲劇を経験してきたルワンダと長崎が、平和への「学び」と「祈り」の時を共に過ごすことを目的に開催されました。
第1部では、まず「ルワンダの教育を考える会」理事長の永遠瑠(とわり)マリールイズさんから、ルワンダ虐殺発生直後からの自身の体験が語られました。
ルワンダでの自身の体験を語るマリールイズさん |
永遠瑠マリールイズさんは、ルワンダで洋裁の教師として働き、1993年にJICAのカウンターパート制度により福島市で洋裁の研修を受けました。1994年にルワンダに帰国した直後に内戦が激化し、子ども3人を連れて隣国コンゴ民主共和国へ逃れ、その後、再来日しました。2000年に「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、命の尊さと教育の大切さを訴える活動を続けています。日本国籍取得時には「永遠にルワンダを忘れない」という思いを込めて、永遠瑠マリールイズと名付けたといいます。
今回の講演中、永遠瑠マリールイズさんは「温かいお風呂に入れること、温かい布団で眠れること、これが平和です。二度と同じような過ちのない世界を作り上げていきましょう」と訴えました。
次に、ムカシネ駐日大使から、式典開催への感謝と平和に向けた言葉が述べられました。大使は、亡くなった方々とその記憶に思いを馳せるとともに、生存者との連帯を示すというこの集いの趣旨を確認しました。そして、残虐な行為を二度と繰り返さないために世界的な取り組みが必要であることや、ルワンダと長崎の惨劇の生存者が経験を共有しうることを説きました。最後に、この追悼イベントの開催に至ったことへの感謝を繰り返し述べました。
感謝を述べる駐日ルワンダ共和国ムカシネ・マリー・クレール大使 |
第2部では、4人の参列者よりメッセージが発表されました。長崎平和推進協会の調漸理事長や、長崎県宗教者懇話会顧問でカトリック長崎大司教区名誉大司教の高見三明氏が、今回の式典が長崎で開催される意義等について語りました。また、長崎平和推進協会継承部会の八木道子さんは、戦後に食べ物が無く苦しい時期に母が言った言葉と、マリールイズさんの言葉を重ね「子どもは宝、学ぶことは生きること」を強調しました。
長崎大学大学院多文化社会学研究科の西山心さんは、永遠瑠マリールイズさんの講演を受け、対話の大切さとその過程に伴う痛みについて語りました。西山さんは、大虐殺と原爆投下という負の歴史を経験し、そこから復興を遂げたルワンダと長崎が、この痛みを乗り越えることで得られるものを知っていると述べました。そして、ムカシネ大使の言葉を引用し、「We Need Peace, World Needs Peace. 対話の重要性を知っているルワンダと長崎が今、手を取り合うべきではないでしょうか」と締めくくりました。
長崎大学大学院多文化社会学研究科の西山心さん |
第3部では、この催しのために作曲された「We Never Forget」を合唱団「ひまわり」と共に合唱し、追悼の灯りをともして、会場全体が平和への祈りに満ち溢れました。式典後も、会場前でこの式典を開催できた喜びを分かち合う姿が見られました。
会場全体での合唱の様子 |
式典を共に行えたことを喜ぶ大学生とマリールイズさん |
※「1994年に起きたルワンダのツチ族に対するジェノサイド」のこと。
主催:NPO法人ルワンダの教育を考える会
共催:駐日ルワンダ共和国大使館
後援:長崎市、長崎市教育委員会、長崎県教育委員会、長崎大学、長崎女子短期大学、公益財団法人長崎平和推進協会、公益財団法人長崎県国際交流協会、JICA九州